私には、ある幼馴染がいた。
幼稚園から中学校まで一緒で、高校から離れ離れになった人だった。
なんでもない日に会う約束を立てるほどの人では無いけれど、心のどこかで元気かなぁ、なんて考えてしまうような人。
TwitterやLINEで、友達と写っている写真や、ゲームの切り抜きなんかを見ると、きっと元気なんだろうなって、思っていた。
昔から明るい人で、その人がいれば周りの空気が変わるような人だった。
まだお互い幼い頃は、しょうもないことで喧嘩して、いつの間にか仲直りしてた。
中学校に入っても、その人は明るかった。だけど、ひとつ心配なことがあった。
自傷癖。
傷を隠そうとする訳でもなく、自分で傷つけたことも隠さなかった。
心配だったけど、変に心配しすぎてもなんか変かなって思っていた。周りには仲のいい友人がいたから、私がどうこう言うことじゃないかなって、思っていた。
だけど、いつも明るいあの人が、なんで自分を傷つけるのか、その原因が不思議だった。
高校生になって、関わることがなくなった。
どこの高校に行ったかは知っていた。中学生の時は、仲が良かったから。
二年生の秋頃、幼馴染の高校で文化祭があると聞いた。
その高校に別の知り合いも多かったから、行くことにしてみた。
でも、一番に幼馴染のことが思いついた。今も元気にしているかなって。
高校について、真っ先に連絡した。その甲斐あってか、無事に合流することが出来た。
その人とは、約一年半ぶりの再会だった。お互いの恋愛話や昔みたいにしょうもない話ばっかり。やっぱり明るくて、話してて楽しかった。
その時に、10枚くらい写真を撮った。その中には、幼馴染しか写さなかった。
私の母親が幼馴染のことを気に入っていたから、あとで見せてあげようと思っていた。だけど、親に内緒で文化祭に来ていることを忘れていて、その写真を親に見せることは無かった。
まぁ、またいつか会えるだろ。そんな思いで適当にその場を後にした。
また、会える日は来なかった。
次の年の三月。友達から、幼馴染が事故で死亡した記事が送られてきた。まさか。…本当に?
信じられなかった。本当にあの人?同じ名前の誰か…、なんてことはないか。
でも、でも…。そんなわけないと思いたくて、幼馴染とまだ交流のある友人に連絡をした。
その人も知らなかったみたいで、私みたいな反応をしていた。そんなわけないって。
その友人は、色んな人に連絡をして確認してくれた。その結果、やっぱりその記事は間違っていなかった。
薄々、受け入れなきゃいけないんだろうな、とも思った。だけど、どうしても受け入れたくない自分もいた。
そんなとき、事故現場にみんなで線香を置きに行くことが決まった。
集合場所に行くと、中学生の時の先生と他の幼馴染が集まっていた。
事故現場の近くの公園に行くと、また他の幼馴染がいた。久々の再会に、どういう集まりだったかも忘れて、楽しく話していた。いや、きっとみんな、現実味がないだけだった。
事故現場は国道沿いだった為、少人数のグループが入れ替わりで行く形になった。自分の番になりその場に行くと、バケツに供えられた花と、前の人たちの線香の匂いと、その他ジュースやお菓子があった。
その光景を見ても、まだ信じられなかった。
その後、葬儀があった。
今まで親戚の葬儀に参列したことはあるが、自分の幼馴染だったため、一人で会場に向かうのが初めてだった。服装や持っていくものなど、初めて調べた。分からないことだらけで、不安だった。
目的の駅につくと、そこで友達と合流しタクシーに乗った。普段しない経験が多すぎて、よく分からないまま動き続けていた。
会場に着くと、この間の事故現場にいたとき以上の人がいる。どんな顔して、会場に入ればいいかも分からなかった。会場に入ると、幼馴染の写真がたくさん置かれていた。見覚えのある写真もあれば、全く知らない写真も。他の幼馴染に、「これ絶対彼女が撮った写真だよね。」と冗談混じりに話しかけられて、「有り得る。笑」と返したけど、もしそれが本当だったら、もし私がその立場にいたら、もうそれは耐えられないだろうな…と考えてしまった。
その後の葬式のことは、あまりよく覚えていない。緊張と、実感のなさで、ずっとふわふわした感覚だった。お通夜が終わり、一緒に来た友達のお母さんに送って貰った。その帰りの車でも、「まだ信じられないよね。」と話していた。
お通夜で、亡くなった幼馴染の顔を見ることは無かった。事故で亡くなったから、顔を見せられないほど酷い状態なのかもしれないと思ってしまった。その気持ちとは裏腹に、顔を見ないことで本当は亡くなっていないんじゃないか、と希望を持ってしまうことが嫌だった。
お通夜では、泣かないことを意識していた。当時付き合っていた人に、お前よりも悲しい人たちがいるのだから、その人たちの前で泣くべきではないと言われていたからだ。今はその人の言いなりになっていたなと思うけれど、当時の私はその教えを遵守していた。でも葬式中は何度も泣きそうになった。幼馴染と仲のいい二人が、お焼香の時に一緒に前に出てきて、その背中を見て色々と考えてしまった。
友人のお母さんに家まで送り届けてもらったあと、自分の部屋にそそくさと行き、部屋の扉を閉めて泣き崩れた。ずっと実感はないんだけれど、葬式の時の周りの様子を見て、本当に亡くなっているんだろうとじわじわ実感に変わっていく。亡くなったことを信じたくない自分にとって、実感してしまうことが本当に辛かった。
その次の日、告別式の日。
三月ということもあって、部活の送別会と被ってしまったけど、告別式のあとに遅れて送別会に行くことにした。
告別式はお通夜よりも人が少なく、知り合い数人の他はほとんどが大人か、幼馴染の高校の人だった。
告別式で、初めて棺の中に入った幼馴染を見ることが出来た。ちゃんと、息を引き取っていた。
その姿を見られたことで、自分の中で亡くなった事実が、すとんと落ちた気がする。
知り合いは何人か泣いていたけど、私は見られて良かったと思い、慰める役に回った。
そのまま遅れて送別会に向かった。着いた時、偶然にも顧問と鉢合わせて二人になった。遅れてきた理由を尋ねられて、幼馴染の告別式に行ってきたと伝えると、知っている様子だった。高校生が亡くなることなんて身近で起こることは滅多にないし、すぐ近くの高校だったから噂が回るのは納得がいった。
お葬式が終わってしばらく経ったあとも、亡くなった直後に行ったみんなで線香を供えた場所を、いやでも目にしなくてはいけなかった。高校に向かうまでの道のりで、車でも電車でも、必ず前を通るからだ。目を逸らすことは出来るけれども、どうしても気になって見てしまう。見る度に、新しいお花と、お菓子が置いてあるのだった。
亡くなって一年が経ち、高校終わりにお菓子を買って、事故現場まで行った。本当は、線香だとかお花だとかがいいんだろうけど、慣れてないことをするのはなんだか恥ずかしくて、せめてもの思いでお菓子を供えた。その場には、綺麗なお花も、たくさんのお菓子もあって、1年経っていても幼馴染がどれだけの人に愛されていたのか感じ取れて、幼馴染が亡くなったことが本当に惜しいと思ってしまった。
高校を卒業してからは、その道を通ることも少なくなり、忙しくなって幼馴染のことはあまり考えなくなった。
でも、夢によく出てくる。夢の中では普通に喋るし、よく動く。まるで、生きてるみたいに。
目が覚めると、まだ生きてるんじゃないかとまた思ってしまう。でも、そこでまたネガティブな思考にはならない。
人前で、幼馴染のことは笑って話せる。それほど私にとって大切な思い出で、幼馴染なしでは作れなかった思い出で、いなくてはならない人。
幼馴染は、私の心の中で生きている。誰かに忘れられない限り、幼馴染はずっと生き続ける。